クリームの部屋

誰かの役に立てば幸せ

2016年3月18日(金) H病院結核病棟 入院初日

3月18日(金)
今日から「H病院結核病棟」へ入院。

主人に送られてH病院に9時45分までに着きました。

バタバタと過ぎていく中、看護師さんに案内され、初めての結核病棟に足を踏み入れました。

一番最初は診察です。

主人も診察室に入り、担当の「野○直○先生」と3人で「R大学病院」で撮ったレントゲン、CTを一緒に見ます。

そして、説明が始まりました。

病名は『肺結核、気管支結核咽頭結核(±耳鼻科領域の結核)ということです。

薬を飲み始めて効いてくる、2週間から1ヶ月たつ頃に「初期悪化」という、一度症状が悪くなる事もあるようです。

画像では、肺のあちこち、左側の気管支には炎症が起きている部分がある為、治ってくるとき後遺症として、気管支狭窄になることもあるという。

その場合、酸素を吸ったり外科の先生に相談したり、狭窄で酷い呼吸困難になってしまった場合、緊急で挿管したり気管切開することもあるのだそう。

自分もそのリスクはあるということだ。

入院期間は2~3ヶ月で、早くて1ヶ月、遅いと半年~1年だという。

「耐性結核」という日本には少ないが、薬の効かない結核の人がいるそうで、のちに痰の検査で効く効かないを調べていくことになるという……。

そしてこれらの説明内容にサインをする。

緊急とはいえ、一度切開したり挿管する時は、生存が危うい状況ですから、元の何でもなかった状態まで戻れる可能性は半々らしいです。

ここまでなった場合、半分生きて帰れないと覚悟した方が良さそうだ。

初期悪化が何事もなく過ぎていくのを祈るのみ。

それにしても、肺結核以外に気管支結核咽頭結核(耳鼻科領域)だったとは。

気管支や咽頭結核菌にやられていたから、声が出なくなっていた事も分かり、納得しました。

それから、結核治療薬は多種類の内服が必要で最低でも6ヶ月~9ヶ月の内服治療が必要だという事と、飲んだり飲まなかったりを繰り返したり途中でやめてしまうと、薬が効かない結核菌(多剤耐性結核)が出来てしまうということ。

要は、結核薬の種類が限られているから、治療が出来なくなり、今回の治療を真面目にこなす以外は死ぬしかないって事だ。

飲み忘れは最悪って事。

先生からいろいろ話を聞き、しっかり飲むしかないし、改めて治療頑張るぞ‼と気を引き締めました。


診察室を出てから主人と「クリーム」の話になりました。

以前にも話しましたが、クリームは今年1月12日に、闘病の末、亡くなった愛猫の事です。

主人はクリームと私の症状が似すぎていて辛いらしい。

先程見た画像で自分の左側気管の炎症部分が、狭窄して肺が苦しくなれば、無気肺の状態になりかねないが、クリームの左肺はまさに無気肺だったから。

つまり主人としては人間の場合、抗結核薬を飲んで治すのに対し、クリームだって結核だったかもしれないのに、抗結核薬を飲ませてあげられないまま、死なせてしまった……。

これは主人じゃなくとも、自分自身でも、かなり辛い事であります。

結核感染は人から猫、またその逆も症例が無いわけではなく、私のがクリームに移ったと決めつけても仕方ないが、結核を移さなければ、まだ元気に生きていたかもしれない……。

私が死なせてしまったのかもしれない……。

それなのに私だけが薬を飲んで助かろうとしている……。

主人は、いろんな思いが込み上げてきて、この場にいるのは限界だったみたいです。

私も主人もクリームが亡くなった事を、いまだにずっと引きずったまま、どうにも出来ずにいる状態です……。

主人が帰った後も、検査は続きます。

こちらの病棟では、治療薬の飲む時間が基本的に午前10時~11時なのですが、入院初日で時間はずれましたが、4種類きちんと飲みました。

先程から、ちょいちょい登場して私の治療を支えてくれる、担当看護師さんは「宍○真○さん」だそうです。

とても心強いです。

また詳しく書きますが、私が飲む治療薬はイスコチン(ヒドラ)、リファンピシン、エブトール、ピラマイドになります。

そして今日が金曜日だったと気付き、土曜日、日曜日、月曜日(祝日)とお風呂がない日になるというので、急いでシャワーをかりました。

レントゲン、採血、採尿、心電図をやり、血尿とタンパクが出ていて、あまり良くない状態でした。

シャワー後、髪の毛を乾かす間もなく、タオルを巻いたまま、てんやわんやで検査が進んで気が付けば外は真っ暗。

結構疲れました。

慣れないけど入院中は体温を何度か計ります。

今夜の体温は37.8℃でやや高めでした。

こうして入院初日はあっという間に終わりました。

21時消灯にも慣れていかなくちゃ。